父母へ

あなたたちの子どもとして生まれてきてよかった



お母さん

母が亡くなったのは平成11年の5月の事だった

数日前から胃の痛みを訴えていたものの
その日の夕方も病院で受診して帰ってきたのだからと
夜間に救急外来に連れていってあげなかった

普段から身体の痛みを訴える母に
またいつもの事だろうと冷たい態度を取ってしまった

朝、父が気づいた時には意識はなかった

心筋梗塞

あまりにも突然の出来事

家族を失うという想像もしていなかった悲しみ
家の中にいて何をしていても母との思い出が残っている

早くに父親を亡くして、
その後実兄の自殺
病床の母親
障害を持つ実姉

家庭的には恵まれなかったと思うが
いつも明るく楽天的な母だった

よくケンカもしたね
そのたび
「こんな太った人のオムツ交換なんてできないし
老後の面倒なんてみないからね。」
という私、
「こっちこそあんたになんて看てもらわないよ。」
なんて言い合った

本当にそうなってしまった
思いもよらず突然に。。。

私は今でも母への言葉に後悔している



お父さん

私が小さい頃の父の手は
いつもベンキが染みこんでいて汚れていた
幼い頃に両親を亡くして
中学を卒業した後は
大好きな絵や字を書くことを身につけた

ずっと筆一本で看板業を営み
家庭のために働いてきた父は
仕事一筋の職人だった

自分が貧乏な生活をしてきたせいか
お金を儲けて土地や家を手に入れ
財産をふやす事を生き甲斐とした

決して無駄遣いはせず、
「おまえたちのために財産を残してやっている」

そんな風にいう父が私は大嫌いだった

たまに家族で外食や遊びに行く時は
いつも父の行きたいところ
私たち子どもの意見なんて聞いてもらえなかった

苦労しながらも
いつも自分の思いどおりになってきた父にとって
どうにもならない事なんて一つもなかった


だから
自分がリウマチに侵された事も
妻が突然亡くなった事も
私の次男が障害を持って生まれてきた事も
なかなか受け入れられずに苦しんだ

あんなに自信に満ちて生きていた父が
すべてに消極的になっていった

ますます、父が嫌いになった

そして、入院

父は一ヶ月間呼吸器をつけて
意識のない状態が続いた

私はただ毎日、病室に通い
返事のない父に話しかける

ただそれだけしかできなかった

あんなに自分勝手だった父を少しずつ
私の中で受け入れていく


母の三回忌を迎える一週間前に
父はこの世を去った

最期の父の手は白くきれいだった

痛みのせいで昔のように
筆の握れなくなった事
どんなに辛かったろう

妻に先立たれ
老後を夫婦で楽しめなかった事
どんなに無念だったろう

障害を持つ子をこの先育てていく
私達家族の事を
どんなに心配していただろう

今、こうして暮らしていけるのは
父のおかげだと初めて気づいた



何も親孝行せずにごめんなさい
空の上から見守っていてくれると信じて、
これからしあわせをみつけて生きていきたい



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